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166件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1990-10-30 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会 第6号

ですから、後でサンフランシスコ平和条約が——またこれくしき因縁でございますが、そのときの全権団の中に我々の母親、中山マサが参加させてもらった印象が非常にあります。この間、亡くなりました遺品の中、それを整理していましたら、そのときのサンフランシスコベイブリッジ写真と、それから講和条約で星島さんとか吉田さんが座っていらっしゃるその前の席に座っている写真が出てまいりました。

中山正暉

1987-03-04 第108回国会 衆議院 予算委員会 第4号

そこで、苫米地さんを全権団の中へ入れるか入れないかという大問題があって、安保条約については、これは全権団といえども留保しておけ、中身がわかって納得したらこれはいいけれども、中身がわからぬうちは我々は、苫米地さん、全権として賛成すべきではない、判こを押すべきではないというのが当時の改進党の態度でありました。そして現地に行きましてからは、吉田さんは自分でサインをしておいでになった。

中曽根康弘

1983-10-04 第100回国会 衆議院 行政改革に関する特別委員会 第8号

したがって、平和条約については日本全権団が皆調印した。しかしながら、安保条約については反対も強い。そして、これは恐らく中身はその土壇場まで、あなたがおっしゃったように、知らされていないのだから、したがって、こんなものには責任を持てぬということで全権団も調印しない。それで、吉田さん一人がこれは調印されたという経過になっておると思うのです。  

矢山有作

1980-04-08 第91回国会 衆議院 運輸委員会 第9号

斉藤(正)委員 この際、内のりから外のり船舶のトン数の測度の方法が抜本的に変わったわけでございまして、関係者ではある程度の意見があったと思うわけでありますけれども、日本全権団の発言によって条約の内容が変わったとか、あるいは、変わらないにしても確認をされたとかいうような面はあったのでございましょうか。

斉藤正男

1970-05-12 第63回国会 参議院 外務委員会 第12号

だけれども、条約討議基礎となったアメリカの海軍将官会議報告書とか、あるいは、米国全権団専門委員会報告書、いずれもこれは催涙ガスを含むものとの趣旨を明記されておるのですね。まあ、あっちこっち混迷があったんでしょう。古いことを言ってもしかたがないが、そういうことのようです。そこで、毒ガスについて言えば、議定書の対象になるこれは毒性のあるというもの、これは効果が非常に強いということが一つ

森元治郎

1969-07-23 第61回国会 衆議院 外務委員会 第33号

なお、これも蛇足かと思いますが、一言つけ加えますと、たまたま昨日の閣議決定をしたことではございますが、やはり十八日にこの事件を知るより前に実は決定を自主的にしておったわけでございますが、日本としては川喜田博士というような世界的なこの方面権威者も持っておりますので、川喜田博士に軍縮全権団に途中から追加参加してもらうことになり、昨日閣議決定をいたしましたが、こういうようなことも、十八日の事件が起こるよりも

愛知揆一

1969-07-22 第61回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第22号

そういう点におきまして、わがほうにおいてもこれから十分さらに具体的、科学的な研究を進めなければならねと思いますが、そう申しておりながらこういうことを申すのもいかがかと思いますけれども、たまたま本日付でなったのでございますが、こういう方面日本としても世界的な権威者もおられるので、かねがね内諾は得てあったわけですが、千葉大学の前学長の川喜田博士全権団に加わってもらうことに本日発令をいたしたわけでございます

愛知揆一

1968-08-05 第59回国会 衆議院 本会議 第4号

あなたの恩人吉田首相が、サンフランシスコ平和会議において、池田、星島、一萬田君等の全権団全員で講和条約には調印されながら、安保条約のみは吉田茂ただ一人の責任において単独調印した事実は、あなたもよく御存じと存じます。吉田氏は、安保条約にこの危険な面もあることを洞察して、歴史に対して責任を負うたことと私は考えておるのであります。

三宅正一

1965-11-27 第50回国会 参議院 日韓条約等特別委員会 第6号

国務大臣椎名悦三郎君) どうも、ふしぎな御批判を受けるものと思いますが、とにかく、正式な調印式を済まして、韓国全権団は非常に喜び勇んで帰国した。完全に合意に達しましたから、合意議事録をもってあいまいな点を補足説明する必要はなかった。だから合意議事録はないのであります。それほど完全に合意をしたのであります。

椎名悦三郎

1964-04-21 第46回国会 衆議院 商工委員会 第34号

そこでこの今度の会議全権団に出しました訓令のきわめて根本的な考え方を申し上げますと、一つは、われわれとしてはあくまでガットというものを尊重していきたい、ガットはいろいろ金持ちのクラブであるとか、あるいは事態に即応しないとかという非難もございますけれども、ガット自身も勉強して、そうしてあるいは機構の改革あるいは仕組みを変えたり、あるいはまた後進国問題を特に取り上げていろいろ議論して、いわゆるアクションプログラム

中山賀博

1962-04-24 第40回国会 参議院 外務委員会 第17号

国務大臣小坂善太郎君) 日比通商航海条約につきましては、この条約を作るについて双方から全権団が出たわけであります。フィリピン側全権団は、当時の与党のナショナリスタ党の人もおりましたが、野党であった自由党の人もおったわけでございます。双方意見代表しておる。こういうことで、いわば超党派的な基礎の上に作られた、こういうふうに私どもは考えておるわけでございます。

小坂善太郎

1961-10-11 第39回国会 衆議院 予算委員会 第8号

ソビエト外務大臣並びにソビエト全権団各位に、重光全権が声明を発表された中にこう言っているのです。重光さんのお話は、ソビエト側はさきにロンドン交渉において領土の問題は決定済みであると主張された。なるほどポツダム宣言は、日本に帰属すべき島嶼の範囲は連合国側決定すると書いてあります。

横路節雄

1961-09-28 第39回国会 参議院 本会議 第3号

私は、ちょうど十年前の昭和二十六年九月、サンフランシスコ講和会議全権団の一人として参加するの光栄をにないました。そのとき調印された対日平和条約は、その理念において、その寛大さにおいて、当時の国際環境の下で望み得る最上のものでありました。その後わが国は、よく平和を確保し、友邦との間に経済と文化の活発なる交流を営み、国民経済国民生活はめざましい発展と向上を遂げることができました。

池田勇人